金沢駅からほど近い、ひがし茶屋街。江戸時代から続く茶屋建築が連なる、金沢を代表する町並みのひとつだ。その一角から路地を少し入ったところに、築200年の町家を改装した店がある。店内は薄暗くて静かで、木のトレイの上にあまり馴染みのないかたちをしたカトラリーがいくつか並んでいた。手に取ると思ったより軽く、持ち手がほとんど消えてしまうくらい細い。その先に、少し大きすぎるくらいのヘッドがついていた。店の名はsayuu。金沢の彫金師である竹俣勇壱氏のカトラリーブランド、KiKUのナイフやフォークがゆとりを持って並べられている。
燕と金沢をつなぐ工程
量産のカトラリーは、ほとんどがプレス機で作られる。金属板を型に押し当てて打ち抜く方法で、速く均一な仕上がりが得られるからだ。手元の食器棚に入っているものも、たいていはその工程を経ている。
一方でKiKUのカトラリーは違う。素地を担うのは新潟・燕市の鍛造職人。燕市は国内洋食器生産の大半を占める産地で、大正期以降に西洋食器の需要とともに発展してきた。KiKUが頼むのは同市に拠点を置く金属加工会社、丹人金属。鍛金という技法でカトラリーの素地を作る会社だ。鍛金は金属板をハンマーで叩き続けて形を出す方法で、プレスとは異なり、叩くほどに金属の組織が緻密になる。強度が増し、断面も少しずつ変わっていく。表面に残った鎚目が、その証しになっている。
素地が届いたら仕上げは金沢のKiKUアトリエで行う。竹俣勇壱氏は彫金師として出発した人で、アクセサリーとカトラリーを並行して手がけているらしい。アンティーク風の表面処理を施すのもこの段階で、ひとつひとつが似ているようで異なる表情をもつ個体となるのだ。揃わないことを当然のこととして受け入れていると言わんばかりの表情が美しい。
荒削りとフォルムの対比

19世紀のヨーロッパのシルバーウェアには、持ち手に草花が彫られていた。装飾と機能が分かちがたかった時代のものだ。20世紀に入ってバウハウスや北欧のデザインが出てきてから、カトラリーは装飾を手放し、幾何学的な清潔さを目指すようになった。
イギリスの美術評論家ハーバート・リードは1934年に著した『Art and Industry』で、機能から生まれる形の美しさについて書いている。使うためだけに設計されたカトラリーの写真を掲げながら、それが純粋な美の一形態だと論じた。付け加えるのではなく、正しく作ることから美は生まれる、と。

一方でその本の中に17世紀のスプーンの写真が掲載されている。持ち手はとても細く繊細な一方で、全体的には原始的なフォルム。自分の中ではKiKUのカトラリーはその延長線にある気がしてならない。
ヘッドは大きく、持ち手との対比は一見アンバランスだ。しかし全体に余計な線がない。表面に残るのは鍛金の鎚目で、磨き上げるのではなく、作ったままにしておく。17世紀の職人も、竹俣氏も、同じ場所に辿り着いたようでもある。手に持つと、重さとバランスがちょうどいい。
不安定さがもたらす時間

KiKUのカトラリーを使う時、たまに不安定さを感じることがある。使い方を、形が決めてしまうのだ。フルーツのひと切れ、チーズのひと片。少しずつ口に運ぶのに向いているその形状は、静かに何かをすくう時間を過ごすのにふさわしい。
少量をすくって、ゆっくり口に運ぶ。食べるペースが自然に落ちて、一口ずつのことをちゃんと感じられる。急がない食事の時間に、このかたちはよく合っている。
KiKUのカトラリーを手に取るたびに、少しだけ食卓に時間が生まれる。
