座面をひっくり返すと、スタンプが押してある。「457」「140」──施設管理用の通し番号だ。学校か、病院か、公共の建物のどこかで何十年も使われていた椅子が、目の前にある。それぞれ別な場所から、一脚ずつ手元に流れ着いてきた。
復興が課したシンプルさ
ルネ・ガブリエル(René Gabriel、1899-1950)は、パリ近郊のメゾン=アルフォル生まれのデザイナーだ。パリの国立美術工芸学校(ENSAD)で学び、後に同校で教壇に立つ。戦後に最大の仕事が来た。
1944年以降、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたフランスは国土の再建を急いでいた。ル・アーヴルは港湾都市として特に深刻な破壊を受け、建築家オーギュスト・ペレが街全体の再設計を担った。ガブリエルはそのペレと組んで、公共施設向けの家具を設計する仕事を任された。学校・病院・市庁舎──どこにでも供給できるように、どの木工職人でも作れるように、材料を最小限にして。「エレガンスと妥協なき厳格さの両立」を信条としていたガブリエルにとって、この制約はむしろ本領を発揮する場だったと思う。
Photo: jsmaur / CC BY-SA 2.0
ペレが同じ復興計画のなかで建てたサン・ジョゼフ教会は、1957年に完成したコンクリート建築だ。余計な装飾を排し、構造そのものを美として見せる。ガブリエルの椅子と同じ文法がある。
アンティークとミッドセンチュリーのあいだ
この椅子が面白いのは、どちらにも完全には属さないことだ。
プルーヴェの椅子のように金属を使うわけでも、北欧モダンのように洗練されたラインを持つわけでもない。かといって、フランス伝統家具のような装飾もない。ブナ材を組んだ、横桟3本の背もたれ、板座面、テーパーのかかった脚。それだけだ。アンティークとミッドセンチュリーのあいだで、戦後という時代が求めた固有の様式として、ここに着地している。
使い込まれた木の色、わずかに歪んだ接合部、座面に積み重なった時間の痕跡。量産品として大量に作られたはずのものが、それぞれ微妙に違う顔を持っている。
【ここに複数脚写真を挿入:C71ABCFA-276E-41AC-BFD2-1CD3E13F0A62 2_retouched_cool.jpg】
ガブリエルは1950年に51歳で亡くなる。翌年、フランスで最も権威ある家具デザイン賞「プリ・ルネ・ガブリエル」が設立された。後にピエール・ポーランらも受賞するこの賞の名を冠された人物が、公共施設向けの簡素な椅子を作っていたデザイナーだったというのは、示唆的だと思う。
一脚ずつ、別な場所から
完璧に揃えようとして買ったわけではないけれど、並べてみると不思議と統一感がある。それはたぶん、どの一脚も同じ制約のなかで作られているからだ。
大量供給のために削ぎ落としたかたちが、75年後に美として見られている。
ガブリエルが1951年に生きていたら、この椅子がヴィンテージ市場で丁寧に扱われていることを、どう思っただろうか。必要なものだけを残した設計は、時間を経ても揺らがない。
